風が吹いているのなら

haretanのブログ

君はもうTravisJapanだった

心に余裕のお水を浸してみようよ

幸せのふりをして生きてみようと、ふと思うのです。幸せのふりは悲しいことでしょうか?悲しいときでも笑顔でいると幸せの方がやってきてくれる、とのことをみんなのアイドルが言ってましたね。それに近いようで遠いお話。なにが自分にとって幸せかどうかなんてひとつ生活してみればまるで手に取るように分かると言うのに。私というものはお風呂につかっているときも花を見つけたときもトンネルをぬけて広い広い緑に帰ってきたときも自分の幸せがなにかとか、私は今幸せねとか。いちいちと自分に対して問いかけてみるのです。それから大きな未来と大きな大きな空を思い描いて「これだけで幸せよね」って言ってみるのです。私は気分がよくなったつもりで、その場を少し軽快に歩いてみたりするものです。そのくせ、人間というものはきっと地球と同じように妬みや欲の感情を当然のように持ち合わせていますから、やっかいなのです。ひっしに取り払ってみようとしますが生まれて来たそれらはたぶん、自分ひとりのもくもくとした力では消えてくれないのです。それでも取り払おうとまた大きな未来を思い描くのです。音楽を聴いたり、お湯にたっぷりともぐってみたり。生活はその繰り返しで私はゴールを知りません。人の幸せを願うのも私が幸せになりたいのも十分同じであればいいのに、そう上手くはいかないものです。ひっしに隠して笑ってゆくのです。幸せなんて見えやしない、聞こえても来ない。人が気分よく話していればうるさくて、むっとしていれば気になって。幸せをしってるひとになってみたい。幸せをわかちあえるだけの幸せをもって、もっと心に余裕を。余裕の水をもう少しひたして。もう少しもう少し。「いつかきっと」なんていつまでも言ってるのでしょうね、だけどもうすぐ。もうすぐきっと、涙する。幸せすぎて涙する。私の幸せ、準備して待っていてよね。私にももう少し準備が必要みたいですから。